クラカグループのトピックスでは、展示会出展、地域行事への参加、社内イベント、食品安全への取り組みなど、グループの最新情報を発信中。季節ごとの話題や社員の活動の様子も紹介されており、企業としての姿勢や地域とのつながりが感じられる内容が満載です。西日本の食を支える企業としての取り組みを、ぜひご覧ください。

カテゴリー一覧

倉敷天領夏祭り2026-倉敷の昔と現在と未来

2026年(令和8年)7月25日(土)、当グループが運営する和食レストラン『ゆうなぎ倉敷本店』がある倉敷美観地区入口にて、倉敷最大の夏祭り「倉敷天領夏祭り」が開催されました。

2026年倉敷天領夏祭り・倉敷天領太鼓の様子

倉敷天領夏祭りについて

倉敷天領夏祭りは1971年(昭和46年)に旧倉敷市役所(現在は改修され倉敷市立美術館)前で始まった小さな盆踊りが起源です。メインイベントである「代官ばやし踊り」は1966年(昭和41年)に倉敷市や倉敷商工会議所、倉敷舞踊協会などが共同で制作・発表され、盆踊り大会で踊られるようになり、1983年(昭和58年)からは場所を倉敷駅前(倉敷中央通り)に移して行われ、市民の公募から「倉敷天領夏祭り」という名前になりました。

2026年倉敷天領夏祭り・代官ばやし踊りの様子

2026年倉敷天領夏祭り・代官ばやし踊りの様子

2026年倉敷天領夏祭り・昔なつかしい夜店の様子

 

この日は「ゆうなぎ倉敷本店」も営業準備中時間を「涼み所」として開放させていただき、多くのお客様にご利用していただきました。

ゆうなぎ倉敷本店店頭
ゆうなぎ倉敷本店前の道路

倉敷の昔と今

倉敷美観地区は、かつて江戸幕府の直轄地(天領)として周辺の土地から集められた年貢や物資を一時的に保管する蔵屋敷が並び、それが「倉(蔵)敷」の名前の由来となったそうです。ゆうなぎ倉敷本店も、その歴史にちなんで当時の蔵屋敷をオマージュした店構えでお客様を「おもてなし」させていただいています。

実は、このお店の前の通り(倉敷中央通りを挟んだ倉敷美観地区の反対側)は1970年(昭和45年)までは、当グループの起源となる「倉敷青果市場」があり、倉敷川川畔は物資の集散地として早朝賑わっていたと言います。その後、青果市場は現在の倉敷市西中新田に場所を移し、1986年(昭和61年)に倉敷市の認可を受け「倉敷地方卸売市場」となりました。その倉敷地方卸売市場も倉敷大果・丸倉青果の廃業を受け、2026年(令和8年)より倉敷青果株式会社(2022年より倉敷青果荷受組合より事業譲渡)のみとなりました。

下の写真は、そんな倉敷青果の起源となる1957年(昭和32年)の移転前の倉敷青果市場の写真です(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。

※「倉敷今昔写真帳」著者・編者:中村昭夫(写真)、間壁忠彦(編)より。

1957年(昭和32年)移転前の倉敷青果市場の様子(AIカラー化)

下の写真は1959年(昭和34年)の倉敷美観地区交差点(旧新川交差点)から観た倉敷青果市場方面です。この奥が青果市場となります(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。

第一回「日本レコード大賞」が始まった年だそうです。

※「倉敷-昭和から平成」著者:内田錬太郎より。

1959年(昭和34年)旧新川交差点からの倉敷青果市場の様子AIカラー化)

下の写真は現在の美観地区入口交差点(旧新川交差点)からの「倉敷国際ホテル」と1963年(昭和38年)に倉敷国際ホテルの建設が始まり、倉敷中央通りもまだ整備中の写真です(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。昨年当グループも倉敷国際ホテルにて「従業員洋食テーブルマナー教室」を複数回に分けて開催させていただき、大変お世話になりました。

※「倉敷-昭和から平成」著者:内田錬太郎より。

現在の美観地区入口交差点からの倉敷国際ホテル
1963年(昭和38年)の美観地区入口交差点からの倉敷国際ホテル建設場所と整備中の倉敷中央通り

下の写真は現在の倉敷美観地区「倉敷民芸館前からの倉敷本町(旧向市場町)方面」と1959年(昭和34年)の写真です(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。
※「倉敷今昔写真帳」著者・編者:中村昭夫(写真)、間壁忠彦(編)より。

現在の倉敷美観地区・倉敷民芸館前
1959年(昭和34年)の倉敷美観地区・倉敷民芸館前

下の写真は現在の倉敷駅前と1941年(昭和16年)の倉敷駅です(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。
※「倉敷-昭和から平成」著者:内田錬太郎より。

現在の倉敷駅前
1941年(昭和16年)の倉敷駅前

下の写真は1949年(昭和24年)の倉敷駅構内です。まだ機関車でした。(白黒写真をAIによってカラーに再現しております)。
この頃、青果市場では青森で仕入れたリンゴを機関車で倉敷まで運んでいたそうです。

当時の倉敷ではリンゴはまだ簡単には手に入らない希少な果実でしたので、倉敷市民には大変喜ばれたそうです。そのリンゴが当グループのロゴの由来となっており、現在でもリンゴの生産量全国一位「青森県弘前市」とは良好な関係を継続しています。
※「倉敷-昭和から平成」著者:内田錬太郎より。

1949年(昭和24年)の倉敷駅構内

未来の倉敷

そんな歴史ある倉敷の天領夏祭りにも、未来を感じさせる出来事がありました。なんと人に紛れて踊っていたのはAIヒューマノイドロボットです(一般社団法人MASCより参加)。
観客からは「ぼっけぇ(非常に)!踊りがうまい!」と驚きの歓声が上がっていました。

AI(Artificial Intelligence:人工知能)が急速に普及し始め、当グループでも日常業務をAIによって自動化する試みを進めています。

もしかすると、数年後の未来には倉敷市を普通にヒューマノイドロボットが歩き、私たちと一緒に働いている時代に変わっているかもしれません。

そうなったとしても、当グループは昔と変わらず、倉敷市・岡山県・中国四国地方に安定して食を届け続けられるよう、これからも尽力していきたいと思います。